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演じる記憶から
演じるために、稽古をする。台詞というひとつのヒントから始まり、言葉の響 きや流れ、呼吸、ひいては体の動きや状況、場面をつかみ、どうしてそう言った のか、何故その言葉がその状況下から出てきたのかを考えてみる。 沈々と思慮に 没していくと、言葉は台詞としての役割から離れていき、解体された言葉として 自分の口から発せられるようになる。そして、言い終わると、「あれ、今何て言 ってたっけ?」と思う。感情からのコトバが生まれた瞬間。台詞に感情を乗せる のではなく、感情があるがゆえの台詞。感情が伴えば台詞は既に台詞ではなくコ トバになる。たぶんそういうことだと思う。 勝手な方法論だけれど。 そんな勝手な方法論に基づき、自分なりのコトバを見つけようと試みていた。 ただ経験的にも稚拙なため、だいぶ時間がかかった。それが出来たのは「半神」 公演の最終日、そう唯一最終日だけであった。 双子の分離手術をするために家族のもとを訪れる来訪者。彼らに向かって産婦 人科医である僕が発する「だが今までずっと見てきた」という台詞のとき。 その台詞を発したときのこと、あまりはっきり憶えてはないのだが、台詞の発 信源がいつもとは確実に違っていた。台詞が記憶とか頭とかから出てくるものだ とすれば、その台詞は感情の側から吹き出てきた。そのとき、台詞はコトバにな った。生きたコトバが、出てきたわけだ。 頭ではわかるが実際に出来なかったことが出来た、と、素直にうれしかった。 |
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