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共同生活についての考察
共同生活について考えてみる。 ちょっと思考を動かしただけで色々と浮かんでくる、 様々なメリット、デメリット。いざやってみると、やはり一筋縄にはいかない。たまに言葉にならない空気のような違和感がいつの間にか存在していることもある。だがしかし、お互いが認め合い、こころで動き、歩み寄ることで、たいていは解決されたりするものだ。 プライベートな時間は少ない。ほとんどないとも言えよう。常に誰かがいるので、受動的にひとりになることはあまりない。 ただ、ひとりの時間は能動的に作り出そうとすることでなんとかなる場合が多く、慣れてしまえばたいした問題ではない。 例えば子供の頃は家族や兄弟と共に生活をしていたわけで、家族との生活は既に共同生活であり、もともといた場所である。 何十年と生きてきて自分が作り上げてきたコネクションの、たまたま時流が合った人同士が、たまたま一緒に住んでいる、というだけのことだ。 もとはお互い知らない同士かもしれないが、時間を共有することでお互いを知り、間合いを取ることも容易になる、もはや頭で考えることもなくなる。 ただやはり、どうしても許せないラインのようなものはあって、そういった場合は話し合って歩み寄る方向を選ぶ。 歩み寄られた場所がバランスの支点である。ハンドルに遊びがあるように、支点の幅が広いことが望ましい。妥協点とも言えよう。 メリット。たくさんのメリットがそこにはある。まず金銭面。そして社交面。デジタル化が進む昨今であるからこそ、人の繋がりが重要になってくると思われるわけで、人の流れは絶え間ない。 絶え間ない流れに揉まれ揉まれて、内に入り込んでいくのか外に向かっていくのかは自分次第だ。 別に争っているわけではなく、お互いで刺激しあい、元気の出ないときは元気をもらい、元気のあるときは元気をあげるのだ。 信じられないとか、よくそんなことができるねとか、言われることがある。中には特異なものを見るような目をする人もいる。 でも、誰でもできると思う。最初の踏み切りさえ越えてしまえば。あとは慣れる。慣れが日常になり、それ以外の日常が信じられなくなったりする。 日常が充実したものであるにこしたことはない。充実した日常を送ることを夢見ることは簡単だが、日常から充実してしまえば夢さえ現実になる。 様々な職業の共同は、大きなプラス面だ。例えば同じ職場の人同士で住んでいたりするのならば、軋轢も生まれよう。 共に住む仲間が多岐に渡る方面に向かっているというのは、共同生活における大切な点だと思う。 知らない世界を知りうることができない世界を垣間見ることができ、自らの幅も広がることであろう。 ひい
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